トップページへ

1999年12月の岡崎選手の足元

contents
岡崎朋美選手
 プロフィール
 岡崎選手のあゆみ
 tomomi語録
富士急スケート部
シーズンの記憶
F-gallery(写真館)
リンクを去った選手たち
観戦・応援のための覚書
リンク集
BBS(ゲストブック)
トップ岡崎朋美選手岡崎選手のあゆみ

岡崎朋美選手

Tomomi's Story 1 2005.4.1update
岡崎選手のあゆみ [1] (長野五輪以前)
故郷・清里町 清里小学校崎選手の故郷・北海道斜里郡清里町(きよさとちょう)は、知床半島の付け根に位置しています。酪農業が盛んな土地柄にあって、ご実家も札弦(さっつる)地区で酪農業を営まれています。
父・元さんと母・イセノさんの次女として生まれた岡崎選手は、光岳(こうがく)小学校3年生のとき、転校生への“ライバル意識”から、スピードスケートを始めたといいます。
清里町ホームページ
釧路星園高校 里中学校を卒業すると、親元を離れ釧路星園(くしろせいえん)高校に進学した岡崎選手。ここで恩師・スケート部の橋本監督に出会います。
高校時代はインターハイ5位が最高。それはそれで素晴らしいのですが、特別な存在というわけではなく、「卒業したらやめようと思っていた」らしいのですが、その素質と“男の子のような太股”が、大会で釧路を訪れていた富士急・長田監督の目に止まり、あの橋本聖子選手が所属する名門チームにスカウトされました。
釧路星園高校釧路星園高は、中心街から少しはずれた場所にある女子校で、道内でもスケートの盛んな学校として知られています。元富士急・三宮恵利子さんは岡崎選手の3年後輩にあたります。
長野五輪後、岡崎・三宮両選手から、後輩たちの応援お礼のFAXが届けられたそうです。
釧路星園高ホームページ
富士急入社、
そして世界へ
橋本聖子さんと海道を離れ、1990年に富士急入りした岡崎選手は、偉大な先輩・橋本聖子さんに“泣きながら食らいついて”練習に励みました。
そんな努力がしっかり実を結び、天性の才能が開花、1992年11月の真駒内選抜500mで初優勝し、翌週のW杯軽井沢大会で“世界デビュー”を果たします。

順調にステップアップしていく岡崎選手は、1993年12月の全日本スプリント選手権で総合4位に入り、翌1994年2月のリレハンメル五輪500mの代表の座に!ついにあこがれの聖子先輩と同じ舞台を踏み、500m14位の成績を残しました。
その後も、楠瀬志保選手・島崎京子選手らとともに世界の舞台に立ち続け、W杯優勝、日本記録樹立など、一気に日本のトップスプリンターへの道を歩み始めました。1996・1997年は、全日本スプリント選手権総合2連覇も飾っています。

このコーナーの目次へ 次のページ 『岡崎選手のあゆみ 2』 へ 


このサイトについて

国内主要リンク案内
トップページへ このページの先頭へ