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1999年12月の岡崎選手の足元

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岡崎朋美選手

Tomomi's Story 2 2006.4.1update
岡崎選手のあゆみ [2] (長野五輪以降)
銅メダル獲得! 長野五輪銅メダル1998年2月14日、長野五輪女子500m2日目。
前日38秒55の日本新で滑り3位につけていた岡崎選手は、島崎京子選手と同走。前日と同タイムでゴールし、2本合計で3位に入り、日本女子短距離として史上初のメダルを獲得!その輝く笑顔で一躍人気者になりました。

五輪後、岡崎選手は数々の賞を受賞、また勤務先の富士急では「課長」に昇格するとともに、練習場の隣りに「岡崎朋美メモリアル・富士急スケーターズミュージアム」が新設され、金色の銅像も建てられました。
富士急スケーターズミュージアム
岡崎劇場 ルトレークシティー五輪を2年後に控えた2000年。それまでスケート選手の腰にメスを入れることなど常識的に考えられないこととされていた中で、岡崎選手は椎間板ヘルニアの手術に踏み切りました。もっとも岡崎選手本人には迷いはまったくなかったそうですが……。

腰痛からは解放されたとはいえ、思うようなトレーニングができない苦しいシーズンは続きました。五輪イヤーには10年ぶりの日本代表落ちも経験、2001年12月の全日本スプリント選手権は、後がない中で臨んだ代表決定戦でした。
500m初日は5位。絶体絶命に追い込まれた岡崎選手が、ここからドラマを見せてくれました。2日目の500m、岡崎選手は誰よりも速くゴール、初日との合計で3位となり、見事3度目の五輪出場を決めてくれたのです!まさに「岡崎劇場」!この日は岡崎選手にとってもファンにとっても忘れられない日となりました。

「終わりなき挑戦」という言葉をテーマに掲げて挑んだソルトレークシティー五輪では、500m1本目で37秒77の日本新をマークし、合計でも6位入賞と活躍しました。

さらに4年後、日本選手団主将として臨んだ自身4度目の五輪出場となるトリノ五輪では、メダルまで0秒05差での4位。大舞台に強い岡崎選手の真骨頂をまたまた見せてくれたのです。
終わりなき挑戦 分自身でゴールを決めない岡崎選手。トリノ五輪後も、“1年1年”の勝負をしつつ、2010年バンクーバー五輪出場を視野に入れることを明言しました。

TOMOMIスマイル!岡崎選手の魅力は、勝負師としての強さはもちろん、“朋美スマイル”と称される値千金の笑顔と、大自然とご両親に育まれたと思われる人に対する優しさ、ですね。いつでもファンサービスを忘れない姿にも本当に頭が下がります。
笑顔の向こうに垣間見える“凛”とした負けん気の強さもまた、世界の舞台で渡り合う精神力になっているのだなと感じます。
こんな素敵な選手を同時代に応援できるというのはなんと幸せなことでしょうか!!

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